Month1月 2016

2軍で地道が頑張る選手に魅力を感じるカープ女子

女性は地道に頑張っている男性に対して、母性本能をくすぐられてしまうもの。特に頑張ってもなかなか上手くいかないときは、背中を後押ししたくなる…そんな衝動に駆られる方もけして少なくはないのではないでしょうか。

今やファンが急増し、スタジアムをファンで埋め尽くしているほど人気が高まっている広島カープ。カープ女子という流行語が生まれるほどですが、その背景には広島カープ独特の地道な育成をしていくチームの方針も絡んでいるとされています。資金力ではどうしても他の球団に勝てないため、若手を育てて、強い球団に挑んでいく姿勢、それでもなかなか勝つことができない姿。頑張ってもなかなか上手くいかないことも多々あるが、強いチームに勝つこともある…そんな姿がカープ女子の心をくすぐるのでしょう。

プロ野球には1軍と2軍があり、主力選手で、テレビ中継でも放送され、大観衆の中でプレーする華やかな舞台の1軍。しかし、その一方で、2軍はそんな華やかな舞台に立つ日を夢見て、ひたすら地道に汗を流し、練習に励む舞台です。2軍でも試合が行われていますが、テレビ中継があるのはごく稀で、新聞を見ても、片隅に結果だけが小さく書かれている程度。プロ野球は華やかな印象がありますが、それとは真逆の地味な世界なのです。

しかし、広島カープの場合、育成してチームを強化していくため、2軍こそが将来のチームの行く末を左右しているといっても過言ではありません。実は最近では、お気に入りの選手を見に、2軍の試合などに足を運ぶカープ女子も増えているのです。目を付けた選手が将来のスターになることを祈りながら…。

広島カープの本拠地はマツダスタジアムですが、実は2軍にも本拠地があります。山口県の東部、今では岩国市となった由宇町です。ここに広島東洋カープ由宇練習場があります。JR山陽本線由宇駅からバスに乗るか、山陽自動車道玖珂インターチェンジで降りるか…いずれにしても、マツダスタジアムの利便性を考えると、とても辺鄙で不便な場所に立地しています。いかにも2軍…そんな雰囲気を感じるかもしれません。

また、2軍の練習はここだけではなく、広島市の西部にある廿日市市には広島カープの若手が暮らしながら、練習に明け暮れるための寮と練習場があります。JR山陽本線前空駅から歩いて5分ほど、瀬戸内海に浮かぶ宮島を眺めることもできます。当然、中に入ることは出来ませんが、運が良ければ、若手選手と出くわすこともあります。

2軍の選手は毎日、朝早くから練習に打ち込んでいます。寮生活をしている選手は特に、夜遅くまでみっちり練習に励む選手も多いのです。そういった選手の中から、お気に入りの選手を見つけ、一人前の選手になる姿を見続けることが出来る…そんな育成の楽しみもまた広島カープならではのものです。まるで自分が母親のように、また恋人であるかのように、選手が育っていく姿を追える…それが女性にとっては母性本能をくすぐられるものになるのでしょう。カープ女子が誕生した原点は、2軍で地道に頑張る選手たちの姿にあるのです。

カープ女子ならお得!魅力が詰まった女性限定ファンクラブ

ファンクラブと聞くと、アイドルを思い浮かべるかもしれません。ファンクラブに入ると、例えばコンサートが通常よりもリーズナブルな価格で、しかもファンクラブ会員でなければ座ることが出来ないような間近な席で見ることができる…などといった特典が目白押しです。

そんなファンクラブは何もアイドルだけのものではありません。実はプロ野球でも各球団が嗜好を凝らしたファンクラブを立ち上げて、毎年会員を募集しています。近年、「カープ女子」が流行語になるなど、プロ野球界でも一際注目を集める存在になっている広島カープでも、ファンクラブを立ち上げ、毎年多くの方が会員になっています。

広島カープのファンクラブにはいくつか種類があり、それぞれに入会条件や特典が異なります。年齢や性別を問わず、誰でも入会可能なカープファン倶楽部や、65歳以上のシニア向けのシニアカープ、中学生までの方が対象のジュニアカープといったものがあります。

そして、近年脚光を浴びている「カープ女子」ですが、広島カープはレディースカープという高校生以上の女性限定のファンクラブもあります。毎年、ファンクラブ会員の人数には限りがありますが、カープ女子にとって魅惑的で嬉しい特典が満載です。とりわけ空前のカープ人気であるだけに、カープ女子にとって、レディースカープは争奪戦ともなる人気のファンクラブです。

レディースカープは人気だけでなく、その内容も非常に充実しています。年ごとにその内容には変更がありますが、まずは何といっても広島カープの本拠地であるマツダスタジアムで行われる公式戦の内野自由席での観戦が20試合無料になるというものです。クライマックスシリーズ(CS)や一部の公式戦などが対象外となりますが、多くの公式戦を、しかも内野席で観戦できるのは嬉しい特典でしょう。また、これには時折開催されるマツダスタジアムでの2軍の試合が別途無料になります。気になっている選手がもし2軍にいるなら、ぜひチェックしておきたいところです。

また、2015年の場合、毎年シーズンオフ、秋に行われるキャンプが終わる頃にマツダスタジアムで行われるカープファン感謝デーの招待も特典に含まれています。ファン感謝デーは広島カープの選手たちが野球ではない競技をファンの方と楽しむなど、毎年ユニークな企画が盛りだくさんで、選手とファンがより身近に接することができるイベントです。憧れの選手たちとふれあえる可能性もあるだけに見逃せない特典です。

その他にもレディースカープの会員証や、他では買えないようなレディースカープ限定のオリジナルアイテムも特典としてついてくる場合もあります。限定だからこそ、持っているだけで誰かに自慢したくなること間違いありません。

カープ女子が急増し、スタジアムには女性ファンの姿をそこかしこで見かけるようになりました。カープ女子であれば、何かと嬉しい特典がいっぱいのレディースカープ。これでカープの選手たちをチェックできたり、もっと身近に感じられるチャンスも膨らむことでしょう。

ダイエットにも効果的?カープ独特のスクワット応援で一体感!

プロ野球の応援といえば、基本的には各球団の応援団が選手それぞれの応援歌などをトランペットを吹き、終わったら、応援している観客が「かっとばせ、○○(選手名)」という…それを繰り返すというのがスタイルなのですが、その基本に各球団がそれぞれにアレンジを加えることで、応援に個性が出てきます。

広島カープの応援スタイルは非常に独特です。いわゆる「スクワット応援」と呼ばれるもので、その名前のとおり、立ったり座ったりを繰り返しながら応援するというものです。その応援スタイルはスタンドにいる周囲の見ず知らずの広島カープファンの方々とも一体感を生みます。試合が終わった頃には、まったく面識がない人と仲良くなった…といったことも、けして珍しくはありません。他球団のファンからも評判が高く、「広島ファンじゃないけど、スクワット応援だけはやってみたい」という方も結構いらっしゃいます。

そもそも、広島カープは応援に関して言えば、パイオニア的な存在でもあるのです。例えば、前述したトランペットを使う、選手ごとの応援歌を作る…今となってはプロ野球のごく当たり前となったシーズン中の日常風景ですが、いずれも1970年代後半以降に広島カープの応援団から始まったとされています。

また、メガホンを使った応援も今では当たり前となっていますが、これも1980年代まで、広島カープのスタンドではしゃもじを使って応援していたことが由来とされています。2つのしゃもじを使ってぶつけ合う音が「カチカチ」と鳴る…これが「勝ち勝ち」につながって縁起が良いとされていたとか。

さらには、プロ野球の試合を見ていると、「ラッキー7」と呼ばれる7回。攻撃する側のチームはジェット風船という細長い風船を一斉に空高く放ちます。当たり前となったこの光景も、元祖は1980年代に関西のカープ応援団が始めたと言われています。

このように、様々な応援スタイルの先駆けが広島カープにはあるのです。そして、今となっては広島カープの応援スタイルとして定着したスクワット応援もまた、その起源は1993年、スタンドで応援していた高校生がしていたとか、泥酔客がしていたとか諸説あるようですが、ファンがしていたちょっとしたことから始まり、20年以上経った今も脈々と受け継がれています。

そんなスクワット応援は、特に決まったルールがあるわけではありません。広島カープの攻撃で打席に立った選手の応援歌がトランペットで演奏されたら、ワンコーラス歌った後、「かっとばせ、○○」と言い、ツーコーラス目以降から立ったり座ったりを繰り返します。立つタイミングなど、役割分担があるわけではありません。自分のペースでスクワットしてみましょう。グループの中で立ったり座ったりを交互に繰り返しても良いでしょう。初めての方でも、周りと同じように真似をすればすぐに溶け込めます。

このスクワット応援は1試合行えば、かなり良い運動にもなります。カープ女子にとってはダイエット効果があるとかないとか…。それはともかく、周りとも一体感が生まれる広島カープのスクワット応援。みんなで一緒にすれば、ますます試合観戦が楽しくなることうけあいです。

意外と多い?カープ女子を引き付けるイケメン選手たち

毎年、プロ野球シーズンが開幕する直前の時期になると、書店やコンビニなどで目立つのがプロ野球の選手名鑑です。プロ野球全球団の選手の顔写真やプロフィール、近年の成績、寸評まで細かく紹介してあります。内容は出版社によって様々ですが、非常にコアな野球に関するデータまで掲載しているものもあれば、好きな女性のタイプやタイプの芸能人、血液型などといった情報が掲載されているものもあり、個性もそれぞれです。

プロ野球観戦のお供に選手名鑑を持っていくという方もいらっしゃいます。また、お気に入りのチームがあれば、「今年はどんな選手がいるんだろう」と、その年の戦力をチェックするという方もいらっしゃいます。近年は女性のプロ野球ファンも増えたことで、お気に入りの選手をチェックしたり、全球団の選手のプロフィールを確認したりと、使い方は人それぞれです。

ところで、まだ女性のプロ野球ファンが今ほどは目立たなかった10数年前。一部の女性からは「広島カープって何となく地味って印象だったけど、選手名鑑を見ていたら、意外とイケメンが多い」…そんな声がちらほらありました。そして、今や「カープ女子」というフレーズが流行語大賞にノミネートされるまでに、広島カープ人気が高まるとともに、イケメン選手たちが注目され、人気に拍車をかけることになったのです。

カープ女子の人気を一気に高めたきっかけの1つとなったのが堂林翔太選手です。堂林選手は2009年のドラフト2位で愛知県の中京大中京高校から広島カープに入団しました。高校3年生のときの夏の高校野球では、エースとして、しかも時には内野手として、チームの優勝に大きく貢献しました。入団後、2年目にして1軍のレギュラーを獲得し、14本のホームランを放つなど、チームの期待を一身に受けていました。

そんな堂林選手は甘いルックスから、カープ女子にとってはアイドル的な存在で爆発的人気がありました。「プリンス」という異名をとるほどに注目を集めたのです。カープ女子が広島カープに注目するようになったきっかけとも言えるでしょう。

その後、一躍人気を集めるようになったのが、2013年のシーズンオフに読売ジャイアンツから移籍した一岡竜司投手です。優しそうで、かわいいルックスで多くのカープ女子から人気を集めました。同じように見ていて癒されるとカープ女子から人気があった今村猛投手や大瀬良大地投手を含めて3選手がすべてカピバラに似ていることから「カピバラ3兄弟」と言われることも。愛らしく、一見するとボーッとしたほんわかした顔立ちなのに、マウンドに立てば、ものすごい気迫を見せる…そのギャップがカープ女子のハートをつかんだのかもしれません。

その他にも、広島カープにはイケメン選手がたくさんいます。中にはモデルとしてスカウトされる選手もいるほど。それぞれに個性があり、しかも他球団に比べて、選手との距離が近いと評判の広島カープだけに、間近でお気に入りの選手が見ることができるチャンスもあるかもしれません。

炎のストッパー、男気…脈々と受け継がれる魅力の選手

親会社を持たないプロ野球唯一の球団である広島カープは、独立企業であるがために、自分たちが生き延びるためには自分たちで何とかしていかなければならないという立場にあります。しかし、広島市民にとっては戦後の復興のシンボルのような存在であり、広島市民はカープを活力にしてきたという歴史もあります。確かに資金力は乏しいとされる広島カープですが、それゆえに選手を一流選手になるまで鍛え上げていく姿勢は今も昔も変わりがありません。

したがって、練習量はプロ野球界でも屈指とされていました。しかも資金力のある球団に比べても、練習設備なども劣る面も多々ありました。それでも地道なトレーニングや練習を重ねることで、他球団の選手には負けないような気迫、不屈の精神を宿した選手も数多く輩出してきました。

広島カープは1975年に球団創設以来初めてのセリーグ優勝を飾り、1979年に初の日本一、さらに翌1980年には2年連続日本一と、まさに黄金時代を築き上げましたが、その当時の広島カープを代表する選手に衣笠祥雄選手がいました。衣笠選手がつけていた背番号「3」は、広島カープの永久欠番として、今の球団の歴史に名を残している選手です。そもそも、広島カープに入団した当初の背番号は「28」でした。その当時の1970年から、引退する1987年まで、時に骨折しながらも打席に立ち続けた不屈の精神で、2215試合連続試合出場の記録を成し遂げ、プロ入り当初の背番号「28」から、「鉄人28号」を連想させることで、「鉄人」という愛称がつけられました。

津田恒実投手は1981年のドラフト1位で広島カープに入団しました。指先の血行障害に苦しむ中で、手術を経て復活を果たし、広島カープの守護神として、最終回のリードを守りきる役割を担いました。普段は気が小さい性格だったようですが、マウンドに立つと、気迫の前面に押し出す投球で、直球だけでどんどん三振を奪い、激しいガッツポーズを決めるところから「炎のストッパー」という異名をとりました。脳腫瘍で32歳という若さでこの世を去りましたが、広島カープらしい、気迫をみなぎらせた投球は今なお語り継がれる存在です。

そして、黒田博樹投手。1997年に広島カープにドラフト2位で入団し、徐々に広島カープのエースとして君臨するようになりました。2007年に大リーグに挑戦し、先発投手として2012年にはニューヨーク・ヤンキースで16勝をマークしました。しかし、いつかは広島に戻ってプレーしたい…高額年俸での契約の話もありながら、あえてそれよりも破格に安い広島カープを選んで、8年ぶりにカープに復帰した黒田投手。その「男気」は一世を風靡するキーワードとなりました。

常に相手に向かっていく姿勢を崩さない選手…先ほど取り上げた3人の選手は数多くいるそんな選手たちの中のごく一部にしか過ぎません。厳しい練習に支えられ、それが成果として、プロ野球を代表する選手へと上り詰めていきました。

資金力のある球団は練習設備、戦力の補強などなど、あらゆる面で恵まれています。しかし、広島カープにはそのような財力がない分、厳しい練習でカバーしてきました。苦しい思いをしてはい上がってきたために、資金で補強してきた強いチームには負けたくない…そんな反骨心が強いのです。強いチームに地道にはい上がってきたチームが勝つ…それがファンの心を熱くし、女性からも支持され、カープ女子を生んだのでしょう。

チームカラーの赤!これがカープ女子を生んだ原点でもある

「広島カープと言って、真っ先に思い浮かべることは何でしょうか?」

この質問に対して、最近では「カープ女子」と回答する方も多いでしょう。プロ野球に詳しい方であれば、古くはミスター赤ヘルと呼ばれた山本浩二さんや最近では大リーグから復帰した黒田博樹投手といった具体的な選手を思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません。

そして、チームカラーの「赤」を思い浮かべる方もいらっしゃるでしょう。先ほどチラッと触れた「赤ヘル」もそうですが、広島カープと言えば「赤」のイメージが強いのではないでしょうか。

プロ野球には12球団ありますが、チームカラーとして最も多いのは青系です。中日ドラゴンズや横浜DeNAベイスターズ、オリックスバファローズ、埼玉西武ライオンズは、深い青もあれば鮮やかな青もありますが、青系がチームカラーです。さらには福岡ソフトバンクや阪神タイガースは黄色、読売ジャイアンツはオレンジなどとチームカラーは多彩です。

しかし、赤をチームカラーとしている球団は広島カープだけ。とりわけ青系のチームカラーはどこか男性的なイメージがあるかと思います。プロ野球というスポーツの特性上、チームカラーが男性的な色合いになるのは当然のことかもしれません。それゆえに広島カープのチームカラーである「赤」はプロ野球球団の中では異色の存在であるといえます。

そもそも広島カープのチームカラーは最初から赤だったかといえば、実はそうではありません。球団が創設された1950年から、初優勝を達成する前年の1974年まで、広島カープのチームカラーは紺色だったのです。球団旗が紺地に広島の頭文字である「H」の白い字であることは当時の名残でもあります。

チームカラーが今の赤になったのは1975年のこと。当時、広島カープは日本球界で初のメジャーリーグでの監督経験があったジョー・ルーツ監督でした。ルーツ監督は球団創設以来、優勝がなかったチームに対して、試合に対する勝利への燃える気持ちを前面に出そうと、まずヘルメットの色を赤に変えるよう求めたのです。これが「赤ヘル」の始まりであり、その年、ルーツ監督はシーズン序盤に監督を退きますが、その意志を受け継ぎ、初優勝を果たしました。

こうして、チームカラーは赤となり、広島カープと言えば「赤」…これが定着していったのです。当時はヘルメットだけだった赤も、今ではビジターユニフォームは上半身が赤一色となるなど、選手が着用しているユニフォームのそこかしこに赤が使われています。

12球団唯一の赤のチームカラー。実は他球団にないこのカラーですが、これが女性ファンの増加の1つの要因となりました。ユニフォーム、グッズなど、赤があしらわれることで、かわいさが増し、女性からアイテムがかわいいと高い人気を集めることになったのです。

情熱的で、燃えたぎる赤…戦うチームとして赤をチームカラーとした広島カープですが、女性に好まれる色であったために、カープ女子がカープ女子になるきっかけの1つを作ったともいえます。チームカラーが赤でかわいいから…実はそんなカープ女子も多いのです。

魅力いっぱいのマツダスタジアムはアミューズメントパーク!

2009年、広島カープの新しい本拠地となったマツダスタジアム。そこは毎年のように、新しい趣向を凝らした座席や店舗、名物などが生まれる、まさにアミューズメントパークとなっています。かつての本拠地だった広島市民球場は女性用のトイレが少なかったり、料理などを販売している店舗がほとんどないなど、どうしても「女性には不便…」という印象がありました。しかし、マツダスタジアムに移転してからは、男性だけでなく、女性、さらにはお子様連れの方や障がいのある方…みんなが楽しめる空間になっています。

マツダスタジアムには内野席、外野席と一般的な座席以外にも、他のスタジアムにはないようなスペースも用意されています。例えば、1塁側の内野席とライト外野席の間にあるのが「びっくりテラス」と呼ばれる空間。ここではバーベキューを楽しむことができるだけでなく、生ビールの飲み放題プランもセットになっているコースもあるなど、みんなでワイワイと楽しみながら、野球観戦が出来ます。

また、マツダスタジアムならではと言えば、「寝ソベリア」と呼ばれるスペースです。スコアボードのライト側下にあるのが「寝ソベリア」で、マツダスタジアムを一躍有名にしたスポットです。ここにはクッションが用意してあり、その名前の通り、寝そべって野球を観戦できます。足を伸ばして、ゆったりとした気分で過ごせるひと時。デーゲームでは青空を、ナイターでは夜空を眺めるのも清々しいものです。また、小さなお子様がいても、添い寝が出来るとあって評判です。

この他にも、グラウンドと同じ高さで試合を観戦できる砂かぶり席や、パーティーができる個室で、料理やお酒を楽しみながら応援できるパーティーフロアなど、とにかく特色あふれる座席がたくさんあるのです。

さらに注目なのが、フードコートです。マツダスタジアムを取り囲んでいるコンコースにはたくさんの飲食店が並んでいます。広島市民球場時代からの長い歴史と人気を誇る「カープうどん」はもちろんのこと、ビールなどのドリンクやおつまみも多彩に販売されています。カープ女子に注目なのが、選手がプロデュースしたメニューの数々。その選手の好きな食べ物、奥様の得意料理、さらには出身地の名物など、それぞれのテーマに基づいて選手が考案したメニューも数多く販売されています。好きな選手がプロデュースしたメニューを味わうもよし、選手の地元の味を堪能するのもよし…楽しみ方は人それぞれです。

また、マツダスタジアムはお子様連れやお体が不自由な方でも楽しめるように、設備を整えてあります。例えば、小さなお子様をお連れの場合は、ベビーカーをおくことができるスペースや授乳質も完備してあります。また球場内では貸し出し用のベビーカーもあるのです。また、お体が不自由な方には車椅子の乗ったままでも観戦が出来るスペースや多目的トイレも完備してあります。

このように、マツダスタジアムはまるでアミューズメントパークのように、野球観戦以外にも楽しめる要素がたくさんあります。また誰でも安心して過ごせる空間がそこにはあるのです。

育成の広島カープ!若手の成長を見守れるのも楽しみ

プロ野球の球団を見渡してみると、ほとんどの球団には親会社があります。しかし、12球団で1つだけ、広島カープは正式な親会社がない球団です。広島市民に勇気と希望を与え続けてきた、独立採算制の球団…それゆえに「市民球団」と呼ばれ、地域に密着してきたのです。しかし、資金力は他球団に比べて劣っている面が強いのも事実。だからこそ、広島カープは若い「金の卵」を発掘し、一流のプロ野球選手に育てていく…それこそが広島カープがプロ野球界で生き残っていくための方法であり、魅力ともなっていったのです。

毎年、シーズンが終わる頃になると、新人選手の獲得のためにドラフト会議が行われます。高校生から社会人まで、その年に各球団のスカウトが密着してきた選手の中から、チームの戦力として必要だと思われる選手を順番に指名していくのです。ドラフト会議は1位指名から始まりますが、やはり上位で指名される選手はアマチュアながら、その素質はすでにマスコミなどでも取り上げられるような注目株も多数います。

一般的にはドラフト会議で球団が上位で指名した選手は、それだけチームの期待度が高くなるため、実際にプロ野球の世界に飛び込んだ後も、試合で与えられるチャンスは多くなる傾向にあります。逆に下位で指名された選手は、チャンスをつかむことさえも難しくなることがしばしばあります。したがって、どうしてもドラフト上位で指名された選手ほど、1軍で主力選手として活躍できる可能性は高いと言わざるを得ません。

しかし、広島カープの一番の魅力は「育成」にあります。あまりアマチュア球界では目立ったなかった存在の選手でも、ドラフトで指名しては、一流選手に磨き上げたということも多々あります。2015年のシーズンで阪神タイガースから広島カープに復帰した新井貴浩選手はドラフト6位の選手でした。また、試合にフルに出場し続けた連続記録を持つ金本知憲選手も広島カープがドラフト4位で指名した選手です。2015年現在、広島カープの監督を務めている緒方孝市選手はドラフト3位、天才的な打撃で、あのイチロー選手も尊敬したといわれる前田智徳選手はドラフト4位で広島カープが指名しました。いずれも、けしてドラフト上位で指名した選手ではなく、広島カープが手塩にかけて育て、一流選手になったのです。

広島カープはプロ野球の世界で生き残り、強いチームと渡り合えるように、選手を一流選手に育てるという「育成」に主眼を置いています。それがカープ女子にとっても大きな魅力となっているのです。つまり、気になる選手がいれば、その選手に注目し、育っていく過程をみていく…これもまた広島カープならではプロ野球の楽しみ方でしょう。若手の頃から注目していた選手が、1軍に昇格し、試合の中で活躍し、いずれはレギュラーをつかむ…まるで親が子どもの成長を見ているかのように、選手の成長を見守れるのは広島カープの魅力でしょう。それがカープ女子にとっては、母性本能をくすぐるのかもしれませんね。

けしてお金はないけれど…それでも踏ん張る姿が魅力

プロ野球には12のチームがありますが、毎年シーズンオフになると、翌年に向けて様々な戦力の補強が行われます。ドラフト会議で将来が有望な新人選手を獲得したり、他球団を残念ながら解雇されてしまった選手を再雇用したり、また外国人選手と契約したり…と様々です。

こういった新戦力の獲得には資金が必要となりますが、例えばフリーエージェント(FA)選手の獲得や、近年では大リーグに渡った選手の獲得など、通常の戦力補強に比べて格段に費用がかかるものがあります。こうした多額の資金が必要な補強は、それが可能なだけの資金がある球団に偏りがちなのも、現代のプロ野球なのです。

そんな高額の費用がかかる戦力補強とはほぼ無縁の広島カープ。毎年、他球団の主力選手のFA権行使とともに、その移籍先が注目される中で、今まで一度もFA権を行使した選手を獲得したことはありません。これは現在、プロ野球12球団を見渡しても広島カープだけなのです。

しかし、その一方で広島カープの主力選手がFA権を行使して、他球団に移籍してしまったケースは幾度となくあります。その都度、広島カープは主力選手を失い、一時的に戦力がダウンし、その穴埋めを外国人選手や新人選手に託さざるを得ない状況に陥るのです。

このように見てみると、広島カープは資金面で他球団に比べて劣っているのは明白で、それだけでも不利な状況にあることは否めません。長く優勝からも遠ざかっている原因となっている側面でもあるでしょう。

しかし、そんな不利な状況であっても、自前で若い選手をどんどん育てて、はい上がっていこうというチームとしての姿勢が多くの方のハートをつかんでいます。「カープ女子」と呼ばれる女性ファンが急増している背景には、逆境にも耐え忍び、独自の路線をひたむきに歩んでいく姿に惹かれているところもあるのです。

例えば読売ジャイアンツや阪神タイガースなどは、資金が豊富であり、毎年のようにシーズンオフになると、高額の費用をかけて戦力補強をしています。しかし、広島カープはそれを行うだけの資金がないために、自分たちで主力選手を育てていくことが、プロ野球球団として生き残る道なのです。

しかし、それは資金力の球団とは違って、若手には多くのチャンスがあるということになります。戦力を豊富に補強できる球団は、どうしても若手選手は出場機会を奪われてしまいがちですが、育成することで戦力をアップしていく広島カープのスタイルは、若手でもプロ野球の主力選手になれる可能性をどこの球団のよりも高く秘めているのです。

そうして、多くの選手が1軍の晴れの舞台での活躍を目標に地道に練習に励んでいます。そのひたむきさ、そしてやがて雑草の中で育った若い選手たちが、資金力で戦力をアップしているチームに勝つ…それが、広島カープの醍醐味であり、女性にとってはそんな姿が母性本能をくすぐり、カープ女子の誕生につながっているのかもしれません。

プロ野球唯一の市民球団!その歴史に魅力の原点がある

現在、プロ野球にはセリーグ、パリーグともに6球団ずつの計12球団があります。その中で広島カープは唯一、親会社を持たない独立した企業という大きな特色があります。

第二次世界大戦も終わりに近い1945年8月6日午前8時15分、広島市内に世界で初めての原子爆弾が投下され、多数の人々の尊い命が失われ、また今なお、そのときの怪我や病気に悩まされている方々も大勢いらっしゃいます。それから5年後の1950年、広島に誕生したのが広島カープだったのです。

しかし、その球団の船出はけして順風満帆なものではなく、球団消滅の危機の再三にわたってありました。広島市民にとっては戦後の希望の星でもあった広島カープであり、その期待度は非常に高いものでしたが、時には給与を支払うことができなかったり、遠征の費用をギリギリまで支払えなかったり…とにかくお金がないチームでした。選手をかき集め、プロテストも行い、やっとチームを組んでも、なかなか勝つことが出来ず、暗闇の時期。それでも広島市民はカープを支え、時には経営に苦しむチームの存続のために、「たる募金」と呼ばれる市民からの募金で、球団そのものが救われたときもあったのです。

そこに広島カープが「市民球団」と呼ばれる所以があります。球団創設後、長く低迷した時期もありましたが、1975年に悲願の初優勝を果たしました。ここから広島カープは1991年までの間に6度の優勝、3度の日本一に輝きました。まさに黄金時代となりました。球団創設の、風が吹けば、あっという間につぶれてしまいそうな弱小球団が、セリーグを何度も制覇する強豪チームへの成長を遂げたのです。

しかし、資金力に関しては、他球団に比べて厳しいのは変わりがありませんでした。もちろん、給与の滞納や遠征費用の不足などはなく、広島カープとしての経営は軌道に乗っていましたが、現在でもFAの権利を行使した選手の獲得は一度もなく、目立った戦力の補強もなかなかできないのは事実です。しかし、それでもめげることなく、身の丈に合った経営をするしかなく、それが広島カープの大きな特色である「育成」によって、戦力をアップしていくという方針となったのです。

ところが、球団創設のときから脈々と受け継がれてきた、金の卵を一流選手に育て上げると言う方針…これが今では「カープ女子」にとっては大きな魅力ともなっています。入団したときから目をつけていた選手が、地道な練習によって、ついには1軍の舞台に立つようになる…そんなプロ野球の成長過程を身近な距離で見ることができます。1人のお気に入りの選手を見つけて、ひたすらに応援できる…このように1からプロの世界で自分なりに経験や練習を積み重ねて一流へと育っていく姿を追っていくことができるというのは、カープならではの魅力です。

そしてその魅力は、何も今に始まったことではなく、球団が創設されたときからの伝統でもあります。その伝統が今、まさに「カープ女子」のハートをキャッチしました。そこに母性本能をくすぐられるところもあるのでしょう。そしてそんなチームが強いチームを倒す…ここにもカープの醍醐味が凝縮されています。そう、長い歴史とともに培ってきた広島カープの伝統が、今の人気の礎となっているのです。

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